クラーク博士

26.0825

北海道開拓の村に移築復元・再現されている展示建造物や、建造物内の数ある展示資料をクローズアップしてその歴史をひも解く「コラム【むら・モノがたり】」。
開拓の村のご見学の際は、こちらのコラム記事でご紹介している【モノ】も併せてお楽しみください。


 

クラーク博士は、1876(明治9)年7月、北海道開拓使長官黒田清隆に、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれ、今年(2026年)で、来日・赴任してから節目の150年を迎えました。

『吾が先師クラーク氏は、農学校創立の功多きを以って、氏の肖像を本校演武場に掲げ、永く記念に供せんがため、札幌農学校出版残務委員会は、剰余の金をもって本校画学講師飯田雄太郎氏に嘱して描かしめ、過る7 月の卒業式にこれを掲ぐるに至りたり』(学芸会雑誌31 号雑報1899 より)

1898(明治31) 年に刊行された学芸会編「札幌農学校」が三版を重ねるベストセラーとなり、この利益を以て制作されたのが、「クラーク博士肖像画」でした。学生組織の学芸会から農学校に寄贈された当初は、上記の通り札幌農学校演武場(時計台)正面に黒田清隆の肖像画と共に掲げられたのですが、クラーク博士の遺族から佐藤昇介総長に贈られた肖像画に替えられてしまいます。
時計台講堂から外された飯田筆クラーク肖像画は、1905(明治38)年、キャンパス移転によって新築された寄宿舎の食堂に掲げられました。初代恵迪寮舎から北18 条の第2 代恵迪寮舎に移転して1983(昭和58)年に閉寮されるまで、実に78 年間も継続して食堂に掲げられ、そこで生活する寮生を見守ってきたのです。
1983(昭和58) 年4 月に七学寮を統合した鉄筋コンクリート4 階建て6棟の新寮舎が新築され、旧寮舎はその役割を終えましたが、新寮舎には掲示に適した部屋や壁面がありませんでした。
その後「クラーク博士肖像画」は、紆余曲折を経て、農学部へと寄託され今に至っています。
北海道開拓の村に移築された旧札幌農学校寄宿舎(旧恵迪寮)では、応接室に掲げられた複製品が、寮を訪れる人々を見守っています。

多くの観光客で親しまれている【さっぽろ羊ヶ丘展望台】に建つクラーク像

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